ここは、今までにBBSへ寄せられた皆さまからのご質問やご意見と、それに対する管理人の回答を、部分的に改ざん加筆修正した上で再整理した、完全保存アーカイブのコーナーです。
Q=Question(質問)/ O=Opinion(ご意見)/A=Answer(回答)
巨神兵と墓所の関係 |
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Q |
私は、巨神兵には、裁定者としての色よりも、多神教的意図を感じます。 片方が、墓所のように、人類の全てを滅ぼし、人間を作り変えるのだという派閥。 巨神兵は、物語の中で明確に成長の過程を描いています。 現実的に、日本でロボット産業が大きく成長しているのは、思想的な面も強いのです。 私は巨神兵の「東京工?」(おそらく工場か工廠でしょうか?)の文字には、こちらの考察を見るまでは、まったく気付いていませんでした。 片方の派閥は、腐海を生みだし、王蟲を生み出し、人類をリセットしようとした。 そうして巨神兵と共に「火の七日間」を戦ったが、どうにも劣勢であり、(現実に世界は西洋的価値観が非常に力をもっており、範囲も広大です)どうしても勝てず、止むを得ず、最低限身体を弄くったと考えれば、話の流れとして、自然となってはこないでしょうか? 他にも、例えば王蟲や腐海は、破壊の後の再生まで考えた人工生命です。 仮に、人類がある程度統一された意図、思想の下で「リセット」を考えたとすれば、巨神兵や、生き残った人類達の不完全さがあまりに不自然だと感じるのです。 (ただ、別陣営が巨神兵を作ったのではないとすれば、先に火の七日間があり、巨神兵の間引きでは間に合わず、ヤケになって腐海と王蟲を造ったのかも知れません。であれば、巨神兵と墓所は、互いに忌むべき存在であって辻褄があいます) 台詞に「お前は千年の昔 沢山つくられた神の中のひとつなんだ」というのがありますが、多神教的な発想であれば、数多の神を作り出すことに大きな抵抗は無く、「神まで作ってしまった」という言葉の「神」が、「ゴッド」であるか「カミ」であるか、それだけで意味が180度変わってくるのではないかと思うのですが、どうでしょうか? (ikaruga 様) |
A |
>「擬似的な神」を、一神教の思想が生み出すとは、とても考え辛いのです。 確かに一神教において神は絶対不可触な存在ですから、人間が神を造るという発想など神への冒涜以外の何物でもないでしょう。 しかし、これを神そのものの創造ではなく、神の正義を執行する存在の創造と捉えればどうでしょう。 神の命ずるを為し、神の正義を具現する事が教徒の本分であるならば、同じく神の正義に準ずる人間以上の存在を生み出し、それに従う事もまた教徒の本分に外れることではないように思います。 「神を造るなんてもっての他だけど、天使を作るのはノープロブレム!」みたいな。 >巨神兵は「人間の心を持った兵器」だったのではないでしょうか? >そうして巨神兵と共に「火の七日間」を戦ったが、どうにも劣勢であり〜 >何故、自らを穏やかにする為の措置を施さなかったのか 確かに「神」という言葉をより慎重に用いるキリスト教などとは違い、この作品には多くの「神」という表現が使われています。 旧文明末期に人間以上の存在を作るのがブームになっていたようですが、それらを「神」と呼べば多神教的でも、それらを「天使」と呼べば一神教的になります。 |
変化について |
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O |
種、生命って周りの環境などに合わせて、変化していくもので原始の生命って皆、アメーバみたいなものだったじゃないですか。 墓は再び人間の世界を復活するのだとか言っていますが、その人間はとっくに滅んじゃってます。 だから、この墓が行っていることはとてもナンセンスとしか言いようがなく、ただの厄害を撒き散らす疫病神そのものです。 種とかそういう枠組みではなくして、“個人として幸せか”が一番大切なのであり、誰しもが求める究極的な思想そのものなのです。 (ナムリス 様) |
A |
永遠に続く種などない、というのは事実その通りだと思います。 私が思うに「種の境界線」というものは、現実にはひどく曖昧、というかむしろ人間の思考の中にしか存在していないのではないでしょうか。 |
O |
墓は、変われない、変化しない半永久的なものだったから滅びたと思っています。 周りの環境は、刻々と変化しているが、彼だけは旧世界のまま。 彼が、ナウシカを食い止められなかったのは、昔のままで、新しい思念、概念を持とうとしなかったから。 ”変化しない、絶対的なものはいつか壊れる” これは、現実の我々でも当てはまっていて、生き物全体の進化だけでなく、私たちも心の変化なしには生きて行けない。 悲しみや、痛みは、時が経つにつれ、自分が変化し、消えないが和らいでいくのに、変わらなければそれらに押しつぶされて しまいます。 もし仮に、墓が楽園を建設し、新しい人間もどきを解き放ったとしても、初めに投稿したレス通りに、絶え間ない環境の進化圧によって、自然選択により、彼らも少しずつ変わっていってしまい、絶滅か、別の存在になっていまいます。 僕が同種の範囲について、改めて思うことは、同じ種族でも、厳密にはそれぞれ違う存在です。ただ遺伝子的に大半が似てるというだけで、それでも生物の種類分けをするのなら、僕は、交尾でき子供を作れる互換性があれば、それらは同じ種族だといえるということです。例えば、馬と人間が交尾できる互換性があって馬人間が生まれるとしたら、馬の世界で生きるための適応度、人間の世界で生きるための適応度、双方ともガクッと落ちてしまい、生き残るか子供を残す確立がかなり薄くなってしまいます。だから本能的にそうならないんだと思います。 常に周りの環境により、変化していくことをナウシカの”それは、星が決めること”の真の意はもしかしたら、このようなことなのかなとこの頃感じています。 (ナムリス 様) |
A |
おっしゃる通り、「変化を否定するものは滅びる」というのは私も全くの同意見ですし、また宮崎駿氏が作品中で主張している事でもあります。 ナムリスさんのご意見はどこもツッコミ所のない正論なので、ちょっと概念的な話をしてお茶を濁したいと思います。 厳密に言って、「変化しない、絶対的なものはいつか壊れる」というよりも、むしろ「変化しない、絶対的なものは存在しない」と私は考えます。 世界を極めて物理学的・唯物論的に表現した言葉に、「全ては化学反応である」というものがあります。 しかし、仮に「絶対的な存在」が在るとしたら、それは以下のような特徴を持つ事になります。 ・ 時間軸がない。 これを具体的な例に置き換えてみると、以下のようになります。 ・ 光を反射も吸収もしないから見ることもできない。 このような特徴に当てはまる概念は一つしかありません。
しかし、旧文明の科学者たちはその「永遠に変化しない世界」を創り出そうとしていました。 絶対の否定から始まった科学とは逆に、「絶対は在る」という前提を出発点としたのが「神秘主義」や「神学」、いわゆる宗教と呼ばれるものです。
もう一度私の考えを言うと、「絶対的な存在は存在し得ず、全ての存在は相対的である」となります。 「色即是空、空即是色」という言葉があるように、こういった考え方はとても仏教的なものです。
生物の進化の分岐点は、それぞれの種が異なる能力に特化して行った結果です。 長文な上、オチがお下品で申し訳ございません。 |
雨って降るの? |
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Q |
私の一番の疑問はナウシカの世界における、雨の存在です。 (早乙女 様) |
A |
基本的にナウシカの世界では、雨はあまり降らないような気がします。 では、雨がナウシカたちの生活にとって無害なのかどうかについて考えてみます。 風の谷は海から吹く風によって守られているので、腐海から瘴気や胞子が飛んでこないとなっています。 また、「清浄の地」が瘴気を含んだ雨によって再び汚染される可能性も、「第4巻P-28」でセルムが「瘴気はじきに結晶化し安定する」と言っているので、問題ないのでしょう。 |
人間が腐海を生み出した意味は? |
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Q |
私には一つ解釈があやふやな部分があって、それは「人間が腐海を生み出した意味」です。 (masa 様) |
A |
確かにおっしゃられる通り、人類を汚染に適応させる事ができた時点で、生存の問題は(実際は)ほぼ解決したといってよいでしょう。 |
きれい? きたない? 地下の水 |
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Q |
ナウシカ達にとっては、あの様に生活していれば、「地下の汚染されてない水」の方を、汚染していると認識するはずではないでしょうか? (masa 様) |
A |
ナウシカは単純に、水に含まれる汚染物質のことを言ってるのでしょう。 汚染は地中深くまでは及んでいません。 もし仮に汚染が地下深くまで及んでいたとして、ナウシカが地下深くの水を汚染されていると考えたなら、「その汚染された水を地上で寝かせておく(=さらに汚染する)と植物が良く育つ」、という論理になります。 いずれにせよ地上が汚染されている事は不動の事実なのですから。 よって逆説的に、「地下の水は汚染されてない」と言えるでしょう。 作中には出てきませんが、ナウシカは水質検査していてそれに気付いた、と考えます。 |
墓所の主の代弁者=庭園の主? |
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Q |
庭の番人(墓所の主の代弁者)のことですが、解説では、両者は同一人物のように取られていますが、自分としては別人なのではないかと思います。 (虹夢 様) 僕は同一人物かどうかははっきりとしないと思います。 (若輩者 様) 番人と道化の顔に現れた謎の人物をこのサイトでは同一人物のようになっているが、違うと思う。 (メーヴェ 様) 墓所の主って庭の番人と同じ人なんですか? (通りすがり 様) |
A |
墓所でナウシカと対決した“彼”が庭園の主である、という根拠は以下の通りです。
@ナウシカが彼を「あわれなヒドラ」と呼んだこと。 A会話の流れが自然であること。 B代弁者がナウシカを「娘」と呼んだことについて。 Cナウシカが庭園を去る時に「もう止めはしない」と言ったことについて。 また「肉腫と汚物」というのはあくまで比喩です。 そもそも私には、「墓所の主」自身が言葉をしゃべれるか、というよりも知性(思考力)を持っているかすら疑問に思います。 ナウシカの墓所破壊によって「主」は死にましたが、番人のほうは彼の庭園でピンピンしてるでしょう。 |
清浄の地の動植物はどこから? |
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Q |
ナウシカがセルムと行った腐海の尽きる所(清浄の地)にはすでに動物や植物がいましたが、それらは一体どこから来たのか? (アホガラス 様) 7巻にあるように、人は生物を汚れた世界にあうように変えてしまったのに、なぜ6巻の浄化された場所には鳥がいて、そこでその鳥は生きることができているのか。 (メーヴェ 様) |
A |
清浄の地にすでに動植物が生息していた事について、私は庭園(=種の貯蔵庫)が一つではなく、世界各地に点在していた為と考えます。 これはナウシカが庭園で番人に「このような場所が他にもあるのか」と確認しているように、庭園は世界各地に点在していて、周りの大地が清浄化された時に自動的に開放される仕組みなのではないでしょうか。 |
O |
そうですよね、「庭」が複数ある可能性は十分にありますね。 (アホガラス 様) |
王蟲=墓所? |
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Q |
7巻最後のほうのナウシカの台詞「王蟲の体液と墓のそれとが同じだった」は何と意味するのか。王蟲と墓は同じものだということでしょうか? (メーヴェ 様) |
A |
これは王蟲と墓所が同じ技術、つまり同じ者たちに作られた事を指しています。 |
不死身のミト&アスベル |
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Q |
7巻で墓所の上に不時着したミト&アスペルの事なんですが、 (みじめで哀れな学生 様) |
A |
なかなか細かい所を突いてきますねぇ。 私の見解を一言で言うと、「マンガだから」となってしまいます。 無理やり理屈をつけると、「爆風は水平方向に広がったので墓所の直上には被害が出なかった」とか「墓所はなんかバリアーみたいのが出せる」とか、何かしら説明付けられるかもしれませんが、正直あの時点で、宮崎氏がそんなとこまで考えていたとは思えません。 ヴ王と道化も何故か、無傷でしたしね。 普通に考えれば、熱線や爆風を防げても放射能で即死なのですが・・・。 |
墓所に遺された技術 |
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Q |
何故、墓所には余り必要ない技術まで残されているのでしょうか? (みじめで哀れな学生 様) |
A |
墓所に遺されていた技術は全て、世界再建計画にとって必要なものだったと考えます。 世界再建だけなら墓所には何の技術も残す必要はありません。 |
庭園の主は元人間? |
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Q |
庭の番人は元人間だったのか。 (みじめで哀れな学生 様) 可能性は高いですね。 (アホガラス 様) |
A |
庭園の主が人間っぽいのは、彼が非常に人間に近い遺伝子を持っているからだと思います。 |
旧文明の人はヒドラ化しなかったの? |
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Q |
何故、墓所には庭の番人のような旧文明を知っているヒドラがいないのでしょうか? (みじめで哀れな学生 様) |
A |
まったくその通りだと思います。 ヒドラ化した旧時代の人間関して、当初は何人かはいたと私は思います。 |
ホントは臭い? 森の人 |
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Q |
同じ森の中で暮らしているのに蟲使いは臭いと言われるのになんで森の人は臭いと言われないんでしょうか? (みじめで哀れな学生 様) |
A |
蟲使いの悪臭は仰る通り「汗臭さ」だと私も思います。 ナウシカの守人になった時、醜男たちもマスクを外すのは不吉だと言ってましたし、基本的に服を変えないのでしょう。フロにも入ってなさそーですし。 もしかしたらあのマスクは自分たちの悪臭対策にもなっているのかも知れないですね。 その点、森の人は比較的服を脱いでる場面が多く出てきますね。 ニオイというのは目に見えないだけに、文字にすると非常に強いイメージを対象に付与します。 |
おい、ヒドラ! お前、ナウシカに何をした? |
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Q |
番人がいる庭にナウシカが行った時、人が火を知る前の組成の大気を吸っても大丈夫なように何かをやった、と番人が言っていましたが・・・何をしたんでしょうか?(あのお風呂がそうなんでしょうか) (みじめで哀れな学生 様) |
A |
まずナウシカが墓所を破壊した理由は、単純に墓所の存在理念が彼女の思想と決定的に相容れないものだったからです。 「人が火を知る前の組成」の空気は、我々からすればただの「きれいな空気」ですが、ナウシカたち作り変えられた種族にとっては猛毒となります。 庭園の役割はあくまで「貯蔵庫」ですから、そこに生命を作り変える技術は置かれていないでしょう。 |
ナウシカ=新しい王? |
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Q |
突然ですが、クシャナの台詞の中に、「すでに新しい王を持っている」(第7巻222p.6コマ目)というのがあって、誰が真の王なのかと以前から議論されてきました。 (アホガラス 様) |
A |
ご推察の通り、クシャナの言う「新しい王」は、ナウシカの事を指しているものと考えます。 また、本来「王」とは(少なくとも宮崎氏の考える「王」とは)、人の上に立ち支配する者ではなく、人の先頭に立ち、他の誰よりも重い責務と苦悩を背負い、天下の正道を歩む者であると考えます。 |
Q |
「王」というよりは「導く者(リーダー)」のほうが」しっくりしますね。読者からすれば。 「違和感」が何かを意識して考えてみると、多分、それは身分や階級、肩書きなどの類だと思います。 (アホガラス 様) |
A |
確かに中盤までのナウシカからは、人間世界に対する責任から逃れたいという願望を感じます。 ですが私は、終盤(腐海の秘密を知って以降)のナウシカとそれ以前のナウシカを同列に論じることは出来ないと思います。 「嘘」をつき続けると決心した後のナウシカは、人間種族全体に対して自分が最も責任のある立場にある事を自覚し、その責務(指導者たること)を受け入れたと見ます。 皆と同じ立場で生きていきたいという願いは最後でも変わってないと思いますが、彼女にはすでに自分のしなければならない事(人類を導く事)が見えているので、執着はそれほど無いと思います。 また、クシャナがナウシカを公式に王に据えようとしなかったのは、それが全く意味の無いことだったからです。 |
王蟲の剣はカタイんか? |
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Q |
第一巻で、クシャナの軍とナウシカが対峙したときに、ナウシカが使っていた王蟲の皮の剣の強度は、どの程度のものなのでしょうか? (みじめで哀れな学生 様) |
A |
作中では「王蟲の甲皮」の特性として、「高い硬度と優れた弾性」という二つの要素が挙げられています。 現実には、「硬さ」と「強度」は相反するものです。 ちなみに、刀剣の中でも最も高度な製法で作られているのは、「日本刀」だといいます。 |
Q |
王蟲の皮の剣にトルメキア兵の斧を防ぐ強度があると思いきや、クシャナの居合い斬りで真っ二つにされてしまったりでよくわかりません・・・。 (みじめで哀れな学生 様) |
A |
(以前ネタとして書いた回答を、アーカイブ化を記念し、さらにストーリー仕立てにしてお送りいたします。) セラミック時代終末期、最大の軍事国家 『トルメキア王国』。 しかし、である。 クシャナ親衛隊に所属する装甲兵ゲルマ(仮)もそんなヘタレの一人だった。 そしてチャンスは、彼らの捜索が風の谷に及んだ時にやって来た。 「これは・・・こんな小娘に勝負を挑まれるとは・・・もしかしたらチャンスなのでは? ・・・つーか、負けようがないじゃん。 しかもこいつ、なんか重要人物っぽいから、ここで軽くひねって人質にでもすれば、殿下もスムーズに作戦を遂行できるかもしれない。 そしたら俺、大手柄じゃんっ!!」 少女を見て勝利を確信したゲルマは、今までついぞ見せた事のないような勇猛さで決闘に名乗りを上げた。 ちなみに彼には実戦の経験はない。 事ここに至ってようやく、「あ、この娘、けっこー強い・・・」と気付いたゲルマだったが、真剣勝負の世界では一瞬の混乱が死につながる。 そしてここに、もう一つの悲劇があった。 そして・・・。 「少女にタイマンで敗けた装甲兵、ここに眠る。」
ペジテのトルメキア軍宿営地にはゲルマの兄、グレン(第三軍第三連隊大尉)が駐留していた。 グレン: 「殿下っ!! ゲルマを・・・、部下を殺されておきながら、なぜ風の谷から撤退したのですかっ!?これでは辺境諸国を付け上がらせてしまいますぞっ!?」 なおも食い下がるグレンの声は、近くの親衛隊の天幕にまで届いていた。 そして・・・・ 「ボウヤだからさ・・・。」 それに応える声はない。
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