第一巻

 

<P-009>
ナウシカ登場。
ちなみに、この作品がアニメージュ誌上で連載を開始したのは、1982年。
実に四半世紀も昔になる 。

 

<P-010>
腐海を調べるナウシカ。
映画版ではその理由を「石化の病の治療法をみつけるため」言っていたが、原作ではむしろ単純な好奇心のように見える。
どこの世界にも変わったシュミの人は居るものである。

 

<P-013>
王蟲の抜け殻の上に寝そべり、王蟲の心に思いをめぐらすナウシカ。
彼女が何故かこの異形の生物や人外の森に、何らかの強い関心を持っている事がわかる。
また、(5分で死に至る)猛毒の森の中だというのに恐怖も不安も持たず、むしろ安らいですらいる。
ナウシカの特異性の表れている。

 

<P-014>
声ならぬ声を聞くナウシカ。
彼女が超常的な能力を持っていることをうかがわせる。
また、他者の激しく否定的な感情(怒り、憎しみ)に接触することにためらいが見えない。

 

<P-015>
累々たる巨神兵の化石。
火の七日間当時、おびただしい数の巨神兵が活動していたことがわかる。
だが、よく見ると一体々々ビミョーに形状が違う。しかも内部に操縦席もある。
この時点では巨神兵は、「中に人間が乗って操縦するタイプの兵器」という設定になっていたようだ。

 

<P-020>
王蟲に対して人間の言葉で呼びかけるナウシカ。 普通に考えて、蟲に言葉が通じるはずも無いのだが。
ちなみに、P-014で聞いた“声ならぬ声”が王蟲のものだとも、この時点ではまだ気付いていない。
あるいは彼女は、“王蟲には知性があり、自分はそれと疎通できる”と無意識に感じているのかもしれない。

 

<P-022>
「蟲の心がわかるようだ」とユパ。
この時、ナウシカは蟲の立場に立って、腐海の住人の目線で蟲たちに話しかけている。
人間の身でありながら、その心は一部、人外の住民と繋がっているかのようだ。

 

<P-023>
ユパ登場。
彼は(少なくともこの時点では)宮崎の分身であると考える。正確には宮崎の理想的自己像だろう。
ユパにとってナウシカは娘のようなものであり、ナウシカにとってもユパは父のようなものである。
ナウシカが族長と王女という関係上、実父へ向けられない慕情をユパに転移(ある対象に向かう欲求が満たされない時、それに代わる対象にその欲求を向ける代償行為)しているとも考えられる。
だが実際、両者に血縁関係が無いのは意味深く感じられる。
これは宮崎が“血の繋がり”よりも“心の繋がり”に重きを置いてることの表れであり、同時に宮崎のリビドー(性本能に根ざした愛情・執着心)がナウシカに向かっている事を象徴している。

 

<P-025>
キツネリスを手なずけるナウシカ。印象的なシーンである。
ここでも彼女は敵意を剥き出しにするキツネリスに少しも恐怖を感じておらず、噛み付かれてもなお自らの痛みにすら無関心である。
敵意に対し好意
を向けるナウシカ。「汝の敵を愛せ」を地で行く。
ユパの台詞を通して、再びナウシカの特殊性が強調される。

 < 同 >
明日にも出陣すると話すナウシカ。その顔に感情らしきものは表れていない。

 

<P-026>
出陣すること、父の病状、腐海のほとりに生きる者の定め、それらを無表情に淡々と話すナウシカ。
ここで彼女は自分の意見(気持ち)を一言も発していない。

 

<P-027>
村人総出で歓迎されるユパ。彼が風の谷において特別な地位を持っていることがわかる。
< 同 >
ユパから成人の祝いをもらう娘たち。それを少し離れて複雑な表情で見つめるナウシカ。
成人は結婚を意味し、それは平凡な幸福を意味する。
ナウシカの表情からは彼女が、自分にはそれが(次期族長であり、出陣を控えてもいるから)無縁であろうことを理解し、なおかつそれを受け入れていることが見てとれる。
だが同時に、そこにまだ多少の未練がある印象も受ける。

 

<P-028>
「11人子供をもうけて育ったのはあいつ(ナウシカ)だけだった」とジル。
ナウシカに10人の兄や姉がいたことが判明。おそらく皆、死産だったか、生後まもなく病死したのだろう。
この世界の子供の生存率の低さをうかがわせる。

 

<P-029>
王女なのに手ずからガンシップの工作に従事するナウシカ。
男性性が強調されている。

 

<P-033>
再び何者かの憎しみ感知するナウシカ。
それをやさしく抱きしめる姿からは彼女の年齢(16歳)とは不釣り合いな母性を感じさせる。
まるで激しく泣き暴れる子供を抱きしめ、なだめようとする母親のごとき包容力である。

 

<P-034>
自分の特殊な能力を自覚し始めるナウシカ。
彼女は自分が周りの人間とは違うということを、かなり以前から意識下で感じてきたと思われる。

 

<P-037>
ミトが止めるのも構わず、ブリッグの救出を決断するナウシカ。
自らの危険をかえりみる素振りが全く見られない。
生物全てに基本的に備わっている自己保存本能が、ナウシカにはまるっきり欠落しているかのようだ。

 

<P-042>
キーアイテム秘石登場。
これは巨神兵のカギというよりも、ナウシカを物語に関わらせていくためのカギとなっている。

 

<P-044>
王蟲との初の交感。
これを境にナウシカは蟲の世界への傾斜を強めていく。
ちなみに、この時点で彼女の王蟲の呼び方は「おまえ」となっている。

 

<P-045>
クシャナ登場。
鎧兜に身を包み、まだ女性であることは明かされない。
この作品において女性の持つ男性性(アニムス)は特に強調されている。
これは宮崎の嗜好の表れでもあろう。

 

<P-049>
慌てるナウシカを叱責するジル。
ユパをして「そこまで背負わせるか」と思わせるほどの厳しさである。
そしてその叱責を素直に受け入れるナウシカ。自分が次期族長であり、谷の人間全ての命運を担っているという重圧。
これこそが彼女を無表情にしたものの正体である。

 

<P-052>
蟲使いという民族がこの世界では嫌悪の対象となっていることがわかる。
ナウシカでさえ不快感をあらわにしている。

 

<P-054>
銃は撃っても人には当てないナウシカ。
まだ交戦状態になっていないこの場合、威嚇射撃と考えるのが妥当だろう。
だが、威嚇なら威嚇で、地面とかもっと離れたところを狙ってもよさそうなものである。
間違って当たったらどうするのだろう。

 

 

<P-056>
剣を地面に突き立て口上を述べるナウシカ。
一国の長としてのペルソナ(立場などに基づいた人格の一側面)が見事に発現している。これもまた男性性の強調である。
ナウシカは剣、銃、セラミック刀で武装しているが、ちなみにこれらは全て(フロイトに言わせれば)男性器の象徴である。
男性性の顕著な女性は処女性・純潔性を意味し、それに男性器の象徴を持たせることで両性具有的な「完全な人間=超越者」として位置付け、また性的な意味合いからの隔離をはかっていると考える。

 

<P-058>
ここでナウシカの別の一面が明らかとなる。
それは感情的な激しさであり、荒々しい攻撃性である。
また、その決定的なきっかけとなっているのがオオナメクジであり、それが汚らわしい性の象徴であることは描かれ方を見てもわかる。
これらの描写から、宮崎がナウシカに徹底して純潔性を与えていることがわかる。

< 同 >
再びナウシカの特殊な能力が描かれている。
この能力は精神エネルギーを知覚したり外部に発現したりするものであると考えられる。

 

<P-059>
「トルメキアの男どもめ」、「我が身を・・・恥ずかしめたな」というナウシカの台詞も彼女の純潔性の強調である。

 

<P-060>
ユパがただのオッサンではなく腐海一の剣士であることが判明。

 

<P-061>
ユパの内言によってナウシカと王蟲との類似性が示される。

 

<P-063>
勝利を確信し、残忍な笑みを浮かべるナウシカ。明らかに相手に致命傷を与えたことに満足している。
この手の残虐性は様々な神話の女神(特に処女神)に多く見られる特徴の一つである。
言うなれば、「男の血をもって身を清める」というパターンである。

 

<P-064>
ユパの見事な仲裁。
彼が中立的な立場(客観的な姿勢)をとっている事がわかる。

 

<P-065>
ここでトルメキア兵のリーダー(クシャナ)が女性であることが判明。
ナウシカと対照されるクシャナは全編通して見られる。
この時点ではナウシカは純粋さを代表し、クシャナは世間擦れした不純さを代表していると見ることができる。
だがその不純も性的な不浄を含んではいない。
おそらく宮崎は理想的な女性としてナウシカを物語の中心に据え、ナウシカに持たせることの出来ない現実的な暗い部分をクシャナでもって補っているのだと考える。
つまり、クシャナはナウシカの影なのである。

 

<P-066>
自分がトルメキア兵を殺したことを自覚するナウシカ。
同時に自分の中の攻撃性に気付く。

 

<P-068>
ユパに対して(ナウシカの実父であるにもかかわらず)ジルの描かれ方は総じて淡白である。(コマも小さい)
ジルのナウシカに対する態度も、その地位に伴う責任から考えてやむを得ない事とはいえ、それほど親子の情を感じさせるものではない。
その分、ユパの方が父親らしい。

 

<P-071>
初めて本音を漏らすナウシカ。
人を殺めたこと、自分の中の制御できない攻撃性、谷の命運という重圧、長老の樹の喪失、これらはナウシカのそれまでの心安らかな生活が終わることを意味している。
そのある種の絶望感が彼女に弱音を吐かせたのだろう。

 

<P-072>
クロトワ登場。
彼は宮崎の影の部分を代弁していると考える。
ある意味もっとも人間らしい人物である。

 

<P-073>
クシャナ自身の描写はこれが初めてといってもいいだろう。
蛇の紋章をバックに、
ヒョウ柄の毛皮(?)を敷いた長椅子に寝そべる姿は悪女そのものである。
性格もひねくれて自虐的な面ものぞかせる。
だが同時に、手柄や権力などにも関心は低そうである。

 

<P-074>
意外にもクシャナが部下たちの強い信頼を得ていることがわかる。
またナウシカと違い、クシャナは若い男たちに囲まれている。

 

<P-075>
蟲使いがかなりクサイことが判明。

 

<P-076>
巨神兵登場。
秘石が巨神兵の封印をとくカギであることが判明。
また、巨神兵の身体構造が生物的であることがわかる。

 

<P-077>
クロトワの暗殺が失敗。
「中央派遣の参謀」は、クシャナにとって父や兄たちのスパイを意味していることが読みとれる。

< 同 >
クロトワの野心的で皮肉屋な性格が明らかになる。
また彼が秘石を入手し、それによって巨神兵を使役、果ては王位の奪取まで目論んでいる可能性を仄めかしている。

 

<P-078>
ナウシカの従者に城ジイが選ばれたのも、性的対象とならない者をナウシカのそばに置こうという宮崎の意向だろう。
事実、クシャナとは対照的にナウシカの周りには若い男性がほとんど描かれていない
谷にも若者は多数いるはずなのにもかかわらず、谷の描写の中で彼らの姿はほとんど確認できない。
宮崎が意図的に避けていると考えるのが妥当だろう。
ナウシカは徹底的に性的意味合いから隔離されている。

 

<P-079>
髪を切るナウシカ。女性性との決別である。
さらに胴ヨロイを着せられ「谷に帰るまで脱ぐな」と言われる。

 

<P-080>
ミトらもナウシカが自分たちとはどこか異なった存在であると感じてることがわかる。
彼らの常識に照らして、腐海の木々や蟲を愛でるのは明らかに異常であるからだ。
ナウシカもそれを理解しているからこそ、一人で苦悩せざるを得ないのだろう。

 

<P-081>
一人秘密の部屋にこもるナウシカ。
振り向くその顔に先程までの気丈さは無い。
この部屋はおそらく谷で彼女が唯一自由になれる部屋なのだろう。
心の避難所
と言ったところか。
時折この部屋にこもり、腐海の木々に囲まれながら、独り物思いにふけっていたのだと推測する。
言うなれば腐海の植物は彼女の良き相談相手なのだ。
ナウシカにとって心底落ち着ける場所は人のいない腐海であり、この部屋は擬似的な腐海なのである。
さらには自分の異質さと腐海の異質さを重ね合わせ、同一視しているようにも感じられる。

 

<P-082>
これがナウシカの秘密であり、この秘密は決して谷の人間と共有することはできない。
それゆえナウシカは孤独なのである。
ナウシカが谷での生活を幸福に感じていた事は疑いないが、同時に決して満ち足りたものでもなかったのだろう。
谷を離れる事とこの部屋を締める事は、ナウシカにとって二重の意味での巣立ちとなる。

 

<P-083>
ナウシカはユパにだけ秘密を見せ、本音を打ち明ける。
ユパが谷の人間でないこともあるが彼が父の代わりであり、宮崎の分身であり、また(この時点では)唯一の理解者であるからであろう。
谷の者も間違いなくナウシカを愛してはいるが、深い部分までは理解していないとナウシカ自身感じていると思われる。

< 同 >
ユパの旅の目的が腐海の謎の解明であることが判明。
つまり、ナウシカとユパは同じ志向を持っていることになる。

 

<P-085>
アスベル登場。
物語開始以来、初めてのナウシカと同年代の主要男性キャラクターである。

 

<P-090>
腐海の瘴気も雲の高さまでは及ばない事が判明。
つまり、雲や雨が腐海の毒(瘴気や胞子)を媒介する事は無いと考えられる。

 

<P-091>
ジルに別れを告げるユパ。
両者これが今生の別れと知っている。

 

<P-093>
この物語のテーマの一つである腐海の謎、その一端が明かされる。
腐海は汚染された大地を浄化している。
ナウシカはそれを知っているが故に、物語において多大な影響力を獲得していくのである。

 

<P-099>
「一呼吸で死ぬ」瘴気の中、迷わずマスクを外すナウシカ。
尋常でない決断力と行動力を持っていることがうかがえる。

 

<P-100>
ここでもやはりナウシカからは死に対する本能的な恐怖が見当たらない。
もしそれがあれば葛藤(異なる複数の欲求の衝突、この場合バージを助けたいという欲求とマスクを外したくないという欲求)による一瞬の躊躇があってしかるべきである。
ミトの「ただのお人じゃない」という言葉通り、常人離れして描かれている。
生物学的に言うなら、異常というより狂っていると言ってしまっても過言ではないだろう。
理性を重んじる人間にとっては、こういった行動はある意味理想とするところかもしれないが。

 

<P-101>
危機的な状況にあっても平然と他人事のようにしゃべるクシャナとクロトワ。
彼女らもまた恐怖を感じていないように見えるが、彼女らは常人として描かれているのでそれは表面的なものと考える。
いずれにしろ宮崎が完全なセルフ・コントロールを理想としていることがわかる。

 

<P-102>
墜ちる味方艦に表情を硬くするクシャナ。
彼女が部下たちに対して愛情を持っていることがうかがえる。

 

<P-106>
身を挺してクシャナをかばうトルメキア兵たち。
彼女の人望の厚さがうかがえる。
こういった描写によってクシャナが、次第に当初のヒール役ではなくなってきている。

< 同 >
次第に自らの特殊能力を能動的に使い始めるナウシカ。

 

<P-107>
精神世界でナウシカは幼い少女の姿となっている。
これはナウシカの純粋性の強調であるとともに、彼女の自己像(セルフイメージ)が未だ子供のままであること、つまりナウシカ自身の「大人になりたくない」という願望の表れだろう。

 

<P-108>
味方の犠牲を何とも思わないクロトワに対して、涙して悲しむクシャナ。
だが、部下たちの手前それを見せることは出来ないのでマスクで顔を隠す。
この描写によってクシャナもナウシカ同様、立場に縛られ、強く振舞うことを強いられている女性である事がわかる。

 

<P-111>
「わたしが話してみる」とナウシカ。
この時点で既に王蟲が(疎通可能な)知的生命体であり、自分が彼らと交感できることに疑問を持っていない。

 

<P-112>
ここでもナウシカは恐怖を欠片も見せない。
「恐怖の克服」というテーマをここでも見ることができる。

 

<P-126>
先の王蟲との交感以降、王蟲のナウシカに対する態度が一定して友好的なものになっていることがわかる。
彼らがナウシカを特別な存在として認識した結果であろう。
ここにナウシカは蟲の世界において特別な地位を獲得する。
それは腐海の意思の具現である王蟲の友人であり、それによってナウシカは大きく腐海の謎に近づけるのである。

 

<P-127>
王蟲の特殊な精神構造が明らかになる。
王蟲自身が「個にして全、全にして個」というように、全ての王蟲が一つの精神を共有し、常時並列化していると考えられる。
(これは個々の王蟲が周囲の王蟲とテレパシーで繋がっており、そのネットワークが全ての王蟲に及んでいるものと思われる。)

 

<P-129〜130>
ナウシカの夢。
分析的に解釈すればナウシカが子供になっているのは現実の状況から逃避し、何の責任も重圧も無かった昔に戻りたいという願望の表れだろう。
逃げるナウシカを追いかける大人たちは現実世界で抱える問題(重圧)の象徴だと考えられる。
だが宮崎がそこまで考慮したとは考えにくいため、単純に過去の記憶を反復しているだけと仮定する。
そして、この過去の出来事がナウシカのトラウマになっていると思われる。
その中でも「蟲と人は同じ世界には住めない」という言葉は、ナウシカが常に突きつけられてきた認めたくない言葉なのだろう。

 

<P-132>
秘石の正体について全く関心を示さないナウシカ。
自分がそれによって色々な目にあったにもかかわらず、ただラステルとの約束が果せた事だけを喜んでいる。
秘石が何であるにせよ、人間が奪い合っているような物だから自分の興味を引くような類の物ではない、有り体に言えば腐海や蟲たちとは関係の無いものである、と考えたのだろうか。
次第に彼女の価値観や関心が人間の世界から離れていっている事がうかがえる。

 

<P-134>
ナウシカとは対照的に俗っぽいアスベル。
典型的な人間界の住人として描かれている。
それにしても「長靴いっぱい食べたい」って、お前はホントに王族か?

 

<P-135>
自分を犠牲にしてナウシカを脱出させようとするアスベル。
この好意に対してナウシカは胴ヨロイを脱ぐという象徴的な行動で応える。

 

< まとめ >
 第一巻では、ナウシカが一国の長としてトルメキア戦役・秘石争奪・腐海の謎などの渦中に身を投じていく姿を描いている。
そこでナウシカは立場に縛られ運命に翻弄されながらも自らの心に忠実に、様々な状況を駆け抜けていく。
その折々の行動から見出せるのは、生命というもの価値基準の最上位に置き、それを損なわせしめる動きをあらゆる方法をもってして阻止しようとする一定した姿勢である。
 また行動に際しては、自らの危険をも全くかえりみず、恐怖などの余計な感情も持たず、最も合理的で効果的と思われる手順でこれをなしている。
これはいわば具現化した超自我(望ましい行動基準、心の中の天使)のようなものであり、ナウシカはまるでイド(欲求の源泉、特に本能的な欲求を指す)を持たない人間のようだ。
そもそもナウシカの欲求の発生源にナウシカ個人が見当たらないのである。
蟲に襲われたペジテのブリッグを救助する、次々に船を沈めるアスベルを止める、蟲に追われるアスベルを助ける等々の行動は実質的にナウシカ自身とは無関係であるにもかかわらず、少しの躊躇も見せずそこに関わって行く。
そこからは「死」が、彼女にとって徹底して拒絶すべきものである事がわかる。
それが「誰の死か」は全く問題ではないようだ。
これが一貫してナウシカの行動の基本原則となっている。