第二巻

 

<P-011>
土鬼登場。
トルメキア戦役は言うなれば、「トルメキアによる土鬼侵攻作戦」である。
ナウシカら辺境諸国の軍勢は、(古い盟約により)その侵略者の側に与している事になる。

 

<P-012>
アスベルが土鬼語を話せる事が判明。
ナウシカが話せないのだから、
必然的な役回りである。

 

<P-013>
ナウシカをゲットしようとする土鬼戦士オジル。
それに対し(トルメキア兵と戦ったとき同様)、キレるナウシカ。
彼女には自分の純潔性を脅かすものには、状況にかかわらず問答無用で拒絶する、という決定的な行動基準が備わっている事がわかる。
第一巻で判明したナウシカの価値基準において、「生命」が無条件で上位に位置しているが、ナウシカ自身の純潔性はそれよりも優先されているらしい。
この行動により自身だけでなくアスベルの生命まで危険になるが、それについて顧慮した様子は見当たらない。
つまり(この時点で)彼女の優先順位の最高位は純潔性であり、次に生命(自他問わず)が来ていると解釈できる。
これは宮崎がナウシカに「汚れなきヒロイン」としての役割を与えている事の表れと見る。
これは同時に、今後の神格化への布石でもある。

 

<P-014>
僧正登場。

 

<P-015>
僧正が盲目で、さらに特殊な能力を持っている事が判明。
念話の初の描写となる。
ここでもナウシカは先の王蟲との交感による関係樹立と同様、(一部族ではあるが)土鬼の長であり宗教指導者でもある僧正と直接的に友好的な関係となっている。
旅立ち以降、ナウシカは王蟲・僧正と次第に自分の理解者を獲得していく。

<P-016>
ここで再び男性から隔離されるナウシカ。
またケチャの「泣く人ひとりもいない」という台詞から、ナウシカに蹴りをくらった先の土鬼戦士オジルの死亡が判明。マスクが外れて瘴気にやられたか。(コマのスミで地味にもがいてたのに気付かれただろうか)

P13より

 

<P-017>
「作戦がもれているはずがないが」とクロトワ。
実際は洩れていた。クシャナの兄たちの仕業であろう。

 

<P-018>
先の空中戦の結果、クロトワが兵たちの信頼を得はじめている。
ふたたび彼が「平民出」である事が強調されている。

 

<P-020>
クロトワが(この時点ではクシャナに対する忠誠心を(当然だが)持っておらず、秘石を入手し出世する事しか考えていない事が見てとれる。

 

<P-021>
クシャナを相手に意外な老獪さを見せるミト。ダテに片目ではない。

 

<P-026>
子供たちと戯れるテト。
「人に馴れないキツネリス」の設定はどこに行った?

 

<P-027>
僧正と話すナウシカ。
もはや自然に念話を使っている。これにより作品の世界設定から言語的な問題が消失する。
ある意味、反則。

 

<P-028>
自分たちの状況・事情をナウシカに聞かせる僧正。
少なくとも捕虜に対する態度ではない。ナウシカは既に僧正にとって友人とも呼べる存在になっている。
これによりナウシカは土鬼においても一つの地位を確立したのである。

< 同 >
トルメキア戦役のいかがわしさに自身の参戦の意義を見失うナウシカ。
風の谷の命運を背負い、自分を追い詰め奮い立たせてやってきた挙句がこれではヘコむのも無理はない。

 

<P-029>
土鬼進軍の裏事情に気付くアスベル。
戦争の現実に目覚めるナウシカ。そして彼女は自分のすべき事に気付く。
それは恐らくアスベルの案とは違い(彼の案では死者は更に増える)、クシャナには彼女が裏切られてる事を伝え進軍をとどまらせ、辺境諸国連合には「古い盟約」の破棄および解散をうながし、土鬼には攻撃を控えさせる、といったものであると推測する。

 

<P-033>
僧正を人質にしてガンシップとの戦闘を阻止しようとするナウシカ。
確かにこの場合、こうでもしなければ戦闘は止められないだろうし、手段としてはこれが最も効果的な行動だろう。
だがそれでも、普通なら自分に良くしてくれた人(僧正)に対して、迷わずここまで出来る人間はそうは居まい。
この事からナウシカが自己の価値観に則った明確な行動基準を持ち、それに従い行動する事に一切迷いを持たない、並外れた決断力の持ち主である事がわかる。
また、ここでもナウシカの行動から彼女自身が見出せない。
戦闘を止めるのは単純に土鬼の人々を助けたいが為であって、ガンシップの攻撃をくらって自分が死ぬ事を恐れている気配はない。
また、この行為によって僧正の信頼を失う(嫌われる)かもしれない事や土鬼の人々に憎まれるであろう事も顧慮していない。
つまり自分はどう思われてもいいから彼らを助けたい、という非常に利他的な思考が読みとれる。

 

<P-036>
土鬼の船にとどまる決意をするアスベル。
ナウシカの試みは、クシャナ、辺境諸国、土鬼、の三者を同時に説得しなければ成り立たないものであるから、土鬼の説得のためアスベルが残るというのは(この状況下ではリスクが高いが)合理的といえる。
クシャナと辺境諸国の説得は立場上、ナウシカにしか出来ない。
アスベルにしても立場的には土鬼に非常に近いものがある。
とはいえ、これが危険な賭けである事に変わりはなく、故にこの自己犠牲的な行動に対してナウシカは「抱きしめる」という表現で尊敬と感謝を示したのである。
これは第一巻ラストの腐海脱出時と重なる。

 

<P-037>
僧正はナウシカを「やさしさと猛々しさ」と形容している。
こういった一見矛盾する表現は、物語終盤で頻繁に登場してくる。
矛盾の統合(止揚)も本作品のテーマの一つと見る事もできる。

 

<P-040>
王蟲の子に対する非道に怒るナウシカ。
蟲同士の強い愛情に何よりも憧れるナウシカだから、それを人の争いの為にこのように利用する者たちを許せないのだろう。この時、彼女は完全に蟲の側に立っている。
だが一方で飛行ガメに攻撃しようとするミトを止めている。これは飛行ガメに乗っている土鬼兵らを殺さないようにという意図だろう。ナウシカが宿営地の被害を食い止める事以上に、停戦を目的としているからである。

 

<P-042>
自殺兵、宗教国家、部族社会。
土鬼のモデルは中東のイスラム諸国だろう。

< 同 >
クロトワが何かの計画を持っていた事が判明。

 

<P-043>
クシャナの戦上手ぶりが描かれる。
さらに自ら先陣に立つ勇ましさ、これこそが彼女の人望のゆえんだろう。

 

<P-044>
クロトワがクシャナの兄たちの裏切りを知っていた事が判明。
しかし、彼はP-017で作戦が漏れている事を知らなかった。そもそも彼はクシャナの父・ヴ王の送り込んだスパイである(B3/P-022参照)
以上の事から、クロトワは皇子たちがクシャナを陥れようとしていた事は知っていたが、その具体的な計略は知らなかったと推測する。
恐らくヴ王は皇子たちのクシャナ謀殺計画のどさくさに紛れて、クロトワを使い秘石を入手する事を計画したのだろう。

 

<P-046>
すり抜けざまにロープを射抜くナウシカ。・・・
お前はどこのシティ・ハンターだ?
ただ、ロープを切れば王蟲の子は酸の湖に落ちて死ぬ。
ナウシカのこの行動は王蟲の子を助けるためではなく、殺して楽にさせる事を意図している。

 

<P-048>
ロープを切る試みは失敗し、逆に飛行ガメの方が湖に落ちる。
一応、生存者がいるかどうか確認するナウシカ。基本に忠実である。
彼女にとって生命に敵も味方も、善人も悪人もないのだろう。

< 同 >
「このままこの島で一ヶ月も苦しめというの」とナウシカ。
この「一ヶ月」がどこから来たのかは不明である。

 

<P-049>
苦しむ王蟲の子に対して「何もしてあげられない」と自らを責めるナウシカ。
彼女からは「他者を救わねばならない」というような根拠のない義務感、もしくは強迫観念のようなものが感じられる。

 

<P-050>
血のしたたる剣を手に、冷静に戦況を分析するクシャナ。
ナウシカと対照的に、彼女には他人(敵)を傷つける事に対する抵抗感が(少なくともこの時点では)無いように見える。

 

<P-052>
ミトの「姫さまはやさしすぎる」「やさしすぎて身を滅ぼしかねん」という言葉が、ナウシカの絶え間ない苦難・苦悩のゆえんを象徴している。
これは決して物理的な危険だけを意味しているのではない。
やさしい人間は他者の苦しみまで追体験できてしまうため、「苦悩の絶対量」が多い。
それゆえ強くなければ重圧に押し潰され、精神を病んでしまいかねない。
ナウシカの強さはここに由来するのである。

 

<P-055>
「馬は捨てろ、負傷者を見捨てるな」と叫ぶクシャナ。
これはクシャナの部下に対する愛情の表れであり、同時に彼女もまた明確な優先順位および行動基準を持っている事がわかる。

それとは対照的に冷徹なクロトワ。
この作品では男性は常に現実主義的に
、女性は理想主義的に描かれている。


 

<P-056>
クロトワがクシャナに「死なれちゃ困る」のは、秘石を手に入れる前に彼女が死ねば、手ぶらで撤退または友軍と合流せざるを得ず、その場合参謀であるクロトワがクシャナの死の(政治的な)責任を負わされるからであろう。
そうでなくても彼は密命を帯びているので、計画が頓挫した段階で口封じされるのは避けられまい。
ただ、あくまで「今、死なれちゃ困る」という意味である。

< ※ >
P-042でクロトワが口にした「計画」は恐らく次のようなものと推測する。
「クシャナは秘石について何らかの情報を持っている。そしてクシャナの態度およびミトとの会話(P-020)から、行方不明になっている風の谷の族長(ナウシカ)が秘石と密接な関わりがある。あるいは秘石そのものを持っている可能性もある。そこでクシャナはミトらにナウシカ救助の許可を与え、ナウシカが無事戻れば見返りに秘石、またはその情報を受け取る。クシャナが首尾よく秘石を入手したら、その後の土鬼襲来にともなう混乱に乗じてクシャナを暗殺、秘石を奪取する。」
誤算は土鬼の襲撃が予想以上に早かった事だろう。
ただ彼は秘石を奪取した後どうするかについて、まだ良い策を思いつかないでいるようだ。
バカ正直に秘石をもって王都に戻ろうものなら、出世どころかすぐに謀殺されるだろう。(参照B3/P-021)

かといって、「巨神兵を復活させて世界征服」と言うのも考えにくい。
クロトワさん、手詰まり。

 

<P-061>
目覚めるクシャナ。
同時に自分が手痛い敗北を喫した事を理解する。

 

<P-062>
愛する部下たちの死んだ戦場に、手向けとして自らの髪を切り捧げるクシャナ。
部下たちが彼女の一部となっている事を印象付ける。
またナウシカ同様、髪を切る事は女性性との決別であり、実際これ以降クシャナは一転して能動的(男性的)になっていく。

 

<P-063>
苦しむ王蟲の子を殺して楽にしてやろうと試みるも、殺せないナウシカ。
「たとえ生き延びる望みが無くても、生きようとしてる者を殺すべきではない」という論理だろう。
ナウシカ(宮崎)の「安らかな死」よりも「苦しい生」を優先する価値基準が示されている。
ただ、この「生」は生きようとする能動的な意味での「生」であり、単純に肉体が生命活動している事とは違うと考える。
ちなみに、もしこの王蟲の子が自ら死を望んでいたならば、ナウシカはどのような行動をとったのだろう。この時点ではまだその辺りに迷いが見える。

 

<P-067>
酸に溶かされ死んでゆきながらも仲間への愛情に一途な王蟲。
これほど強い一体感は精神を共有しているからだろう。その純粋な想いがナウシカの心を貫く。
ナウシカは王蟲の仲間に対する愛情をより深く理解する。

 

<P-068>
触発され次々に酸の湖に飛び込もうとする王蟲たち。それを力ずくで止めるナウシカ。
彼女の特殊能力が王蟲も群れを退かせるほど強力なものである事がわかる。
これは念話と同じ種類の能力だと思われるが強さがケタ違いである。
ナウシカの特異性はその特殊能力そのものではなく、もっと単純に彼女自身の感情・精神エネルギーの大きさにあるのではないだろうか。
また、念話は言語的なものではなく抽象的な思考・感情のやり取りであると考える。

 

<P-071>
会話を盗み聞きするクロトワ。
ナウシカが例の秘石に関わる人物と推測する。

< 同 >
部下を失った怒りを蟲に向けるクシャナ。
また土鬼のワナが何者かの(兄たち以外にいないが)裏切りによるものと気付く。
それによって自分の立場が微妙になるのを懸念するクロトワ。

< 同 >
「母の名にかけて誓え」とクシャナ。
この言葉から、彼女が少なくとも母親だけは大切に思っている事がわかる。

 

<P-072>
クロトワが次第におもしろキャラになっていく。
「天空の城ラピュタ」のドーラ一家のような位置づけだろうか。

 

<P-074>
ナウシカを異質なモノを見るような目で見つめるトルメキア兵たち。
この世界の住人の一般的な反応だろう。

 

<P-075>
僧正が王蟲を神聖視し、土鬼皇帝に対して二心を抱いてる事がほのめかされる。

 

<P-076>
王蟲の子を群れに返すナウシカ。
この瞬間、ナウシカの蟲の世界における地位は揺るぎないものとなった。

 

<P-078>
王蟲の群れの只中にもかかわらず、思わず外に出てナウシカと王蟲の交感に見入るクシャナ。
ナウシカに感化され始めているように見える。

< 同 >
王蟲の愛情に涙して喜ぶナウシカ。
恐らくこれまでの人生で最良の瞬間だろう。

 

<P-079>
同じように王蟲とナウシカの交感に感極まる僧正。
さらにケチャの描写を聞き、僧正はナウシカが(後に出てくる)予言にある「青き衣の者」である事を確信する。

< 同 >
ここで見られるナウシカの姿はまるで神話上の人物のように現実離れしており、これはナウシカが人間以上の存在になりつつある事を示している。

 

<P-084>
辺境諸国の族長たちの前で事の次第をジルに報告するミト。
風の谷が辺境諸国の中でも特別な地位にある事がわかる。ナウシカの行動の結果だろう。

 

<P-085>
クシャナと取引するナウシカ。そして自分ひとりでクシャナらと共に南進すると宣言する。
この時点で彼女の行動は「風の谷の族長」の枠組みを越えている。
先の王蟲との交感を境にナウシカの行動スタイルは、能動的で個人的なものとなってきている。

 

<P-086>
秘石について知っている事を全てクシャナに話したナウシカ。
クシャナがその話を信じたかどうかは定かではないが、いずれにしろこの時点ですでに、物語における秘石の重要度はそれほど高いものではなくなってきている。巨神兵自体も物語上からしばし姿を消す。
また、ナウシカの危惧するものが「大海嘯」である事が判明。

 

<P-091>
ジルの最期。
彼がナウシカのやろうとしている事を思いのほか高く評価していた事がわかる。
同時に困難なものになるであろうナウシカの行く末を案じる。
ここにきて初めてジルのナウシカに対する愛情が描かれている。

 

<P-094>
アスベルのしてくれた包帯を愛しげに見つめるナウシカ。

< 同 >
直感的にナウシカの心を察しているミト。
ナウシカの危うさを案じると同時に、彼女が自分たち(人間界)から去っていってしまうかもしれないという不安を抱えている。

 

<P-095>
再びアスベルの包帯を腕に巻きつけるナウシカ。
また、「この包帯をしてくれた人のことも」忘れた事は無いと、わざわざ個別に言及している。
この再三にわたる描写は、ナウシカがアスベルに対して特別な感情=恋心を持っている事を示している。
むしろ彼はそのために登場したキャラクターであると考えるのが妥当だろう。

< ※ >
この「幻想世界の少女×現実世界の少年」という図式は多くの宮崎作品の中で見る事ができる。「ラピュタ」のシータ(天空の城のお姫様)とパズー(炭鉱夫見習い)、「もののけ姫」のサン(化け物世界のお姫様)とアシタカ(イナカ者)、また宮崎の原作ではないが「魔女の宅急便」のキキ(魔女っ娘)とトンボ(メガネ君)も同様である。

 

<P-096>
前ページの「行けるだけ進んでみよう」というナウシカの台詞と、このページで城ジイたちに別れを告げるナウシカの言葉を見ると、まるでもう二度と谷には帰れないと覚悟しているように感じられる。
ナウシカはこの旅の終わりが「自分の死」であると感じているのだろうか。少なくとも命を賭ける覚悟はあるようだ。

 

<P-099>
蟲使いはこの世界において徹底的に忌み嫌われ蔑まれている。
不浄の象徴のようである。

 

<P-101>
「蟲使いも人間・・・忌み嫌うのはよくない」とユパ。
彼の(宮崎の)博愛精神が読み取れる。

 

<P-102>
蟲使いたちの態度から、彼らが町にいる事や土鬼の貨幣を使っている事の裏に、何らかの陰謀がある事を推察するユパ。

 

<P-106>
蟲使いらの会話から、彼らが土鬼と繋がっている事を確信するユパ。
蟲使いは傭兵のような事もしているらしい。

 

<P-108>
蟲使いの村の内部。彼らの生活が描写されている。
蟲使いたちは村の中でも彼ら独特のマスクを脱がないようである。
脱いだら読者が蟲使いと判別できなくなるためだろうか。
また、多くの者が何かの管を口にくわえている様子が描かれているが、これはタバコか麻薬の一種であると思われる。
全体的に蟲使いの村は阿片窟を連想させ、彼らに堕落と不浄のイメージを付与している。

 

<P-109>
僧正の王蟲神聖視が土鬼の国教ではなく、それ以前の土着の宗教から来ている事が判明する。
同時に土鬼皇帝がその土着の宗教を邪教としている事が明らかとなる。
また土鬼諸侯国連合が、神聖皇帝とその直属の組織である僧会によって統治されている事がわかる。

 

<P-112>
陰謀の核心、培養される王蟲を目の当たりにするユパ。
これにより土鬼がいかにして先の王蟲の子を入手したのかが明らかとなる。

 

<P-113>
バレて開き直るユパ。ここでも彼の知名度が相当なものである事がわかる。

 

<P-114>
初めて描かれるユパの圧倒的な強さ。
この強さと知名度の高さこそが物語における彼の地位・権威の元となっている。

 

<P-117>
アスベルが無事に生きてた事が判明。
同時に彼もまたマニ族の中で一定の地位を獲得している事がわかる。

 

<P-118>
培養槽の中では王蟲は休眠状態である事が判明。

 

<P-119>
男勝りな蟲使いの女たち。
彼女らには手を上げないアスベル。これが宮崎のフェミニズムであろう。

 

<P-120>
僧正らが始めから培養槽の破壊を狙っていた事が判明。
僧正は始めから皇帝や僧会に服従していたわけではなかったらしい。

< ※ >
ところで僧正は男なのだろうか、女なのだろうか。作中にはこれといって明確な描写が出てこないのだ。ビジュアル的にもイマイチ判別しづらい。「どっちでもいい」という声もあろうが、とりあえず推察してみる。まず言葉遣いが柔らかい事、(最初の登場シーンでわかるように)付き人が女性である事、P-079でのナウシカと王蟲の交感時に感涙に咽いでいる事に注目する。言葉遣いの柔らかさは言うに及ばず、もし男の僧なら付き人が女性というのも考えにくい。それにあの泣き方は(少なくとも宮崎作品における)男の泣き方ではない気がする。これらの事から僧正は女性であると仮定する。

P14より

P79より

 

<P-122>
僧正のこの行動が独断によるもので、マニ族の人々には話していなかった事がわかる。
だからある意味部外者のアスベルを連れていたのだろう。
一番可哀そうなのは巻き込まれたケチャである。

< 同 >
皇弟ミラルパ登場。
再三、「皇弟」という言葉が強調されている。当然、「皇兄」もいるだろう事を推察させる。

 

<P-123>
ミラルパが超常的な能力を持っている事が判明。
明らかにこれまでに登場した特殊能力とは別格である。

 

<P-124>
アスベルが「念動」と認識し、ユパが「奴は心をよむ」と言った事からも、こうした超能力はこの世界において比較的知られたものであると推測する。

< 同 >
神聖語でミラルパと対峙する僧正。
彼女がミラルパに劣らぬ力を持った人物である事を象徴している。
スター・ウォーズの皇帝とヨーダの戦いを彷彿とさせる。

 

< 同 >
ユパの「僧正はみんなの心に語りかけている」という台詞が僧正の死を暗示し、彼女の語りかけがそのまま遺言である事をあらわしている。

 

<P-125>
僧正のミラルパに向けた批判の言葉、および「大海嘯」に言及している所から、彼女とナウシカが思想的に高い類似性を持っている事がうかがえる。

 

<P-126>
トルメキア兵たちと一緒に雑魚寝するナウシカ。
次第にナウシカの「男性からの隔離」が緩んできている。
これは物語におけるナウシカの位置付けが変化してきている事を暗示していると考える。

 

<P-127>
ここで土着の宗教に伝えられる「青き衣の者」がナウシカである事が確定する。
これによりナウシカは半ば神格化され、宗教的な地位をも獲得する。
また、僧正の言う予言の者がナウシカである事に気付くユパ。

 

<P-128>
瘴気の中、マスクを外す僧正に驚くケチャ。
一方、ユパは驚かない。僧正の覚悟を知っていたからである。
そして(僧正を置き去りにして)迷わず脱出するユパとアスベル。ちょっとヒドイ。
このような現実的な思考は、まだナウシカには出来ない。

 

<P-129>
ナウシカを気遣うトルメキア兵。しかしテトに拒絶される。
「触んな」という事だろうが、人の好意を何だと思っているのか。この小動物は。

< 同 >
この辺りになると、もはや超常的な描写は当たり前になってくる。
物語自体が神話化してきている兆候か。

 

<P-132>
「青き衣の者」に固執するミラルパ。
ある種の危機感を持っている事がうかがえる。

 

<P-133>
精神世界でナウシカに攻撃するミラルパ。
これは「念話」「念動」とは異なる新たな超能力である。
次第に抽象的な描写が増えていく。

 

<P-134>
精神世界での出来事が現実世界に影響力を持っている事がわかる。

 

<P-135>
ミラルパを「生きている闇」と形容するナウシカ。
この時点では、ナウシカには精神世界からの攻撃に対する抵抗力が備わってない事がわかる。

 

< まとめ >
 この巻でナウシカの行動は能動的・主体的なものへと変化していき、その結果さまざまな集団において特別な地位を確立している。
集団における地位とはすなわち内集団に対する影響力・干渉力であり、それは外集団に対しても一定の力を持つ。
その地位の獲得がナウシカを世界の中心へと導くのである。
特に王蟲との交感と「青き衣の者」の予言のよって、ナウシカの存在は次第に神格化されていく。
  他には、土鬼とミラルパの登場などによってトルメキア戦役の全体像が明確になっている。
ユパも別方向からナウシカと同じ目的地を目指しアスベルとも合流し、全体が王蟲の言った「南の森」に集束していく。
また描写にも抽象的なシーンが増えてきており、物語のテーマがより哲学的なものになってきている事をうかがわせる。